あしひきの 山のしづくに...・二上山の悲しい物語
- メゾンイシス

- 2018年8月7日
- 読了時間: 2分
あしひきの 山のしづくに君待つと 我立ち濡れぬ 山のしづくに (大津皇子)
待てども来ない恋しい彼女を、山の滴に濡れながら、ただひたすら待ち続ける一途な男の心情。
天武天皇には二人の有力な皇位承継者いました。大津皇子と草壁皇子。母はどちらも天智天皇の娘。大津皇子の母は早く亡くなり、草壁皇子の母は鵜野皇女(うのさららのひめみこ)。
大津皇子は文武に優れ、草壁皇子は病弱な皇子でした。二人の皇子はともに石川郎女に恋をしました。
我待つと 君がぬれけむ あしひきの 山のしづくに ならましものを (石川郎女)
石川郎女が、草壁皇子の目をぬすんで読んだ歌。
鵜野皇女は自分の血を分けた子、草壁に皇位を継がせたく、大津に謀反の罪をかぶせ、死に追いやるのです。
百伝ふ(ももつたう) 磐余(いわれ)の池に鳴く鴨を 今日のみ見てや 雲隠りなむ (大津皇子)
大津皇子が死に臨んで、読んだ歌。このとき、大津の妻、山辺皇女は髪を振り乱し、夫の後を追ったといいます。
うつそみの 人なる我れは 明日よりは 二上山を色背(弟背)と 我れ見む (大津皇子の姉)
大津皇子の屍は大阪芸術大学の東にそびえる二上山(ふたかみ山)に葬られました。
その時、弟の死を悼んで 大津の実姉が読んだ歌。
草壁皇子は、しかし、短命で、その母鵜野皇女が持統天皇として即位することとなるのです。
河内には推古帝、敏達帝、用明帝、孝徳帝、聖徳太子、小野妹子等の墓があります。
すべて大阪芸大の近くにあります。(当ホームページのマップ参照)
大阪河内が王陵の谷といわれる所以です。春は桜。ぜひ散策ください。
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